神栄山 長谷寺

和泉西国三十三ヶ所霊場第十番札所の神栄山長谷寺は、大阪府堺市堺区宿院町東
3−2−5にある、真言宗豊山派仏教寺院。 札所本尊は十一面観世音菩薩

長谷寺縁起三巻、伝伏見帝展翰(重要文化財)によると神栄山極楽院とも呼ばれ、聖武天皇
勅願により、大和国、長谷寺の十一面観世音の像を造るのに際し二寸六尺の小像を刻む。
天平5(753)年徳道上人、勅を奉じて、この小像を安置、聖武天皇より金札を賜る
と記されています。

国々に新長谷寺建立の勅命による、その最初の寺と伝えられ、徳道上人は西国三十三所
霊場を開基されたとも言われますが、観音信仰が盛んになるのは、その後の平安朝中頃からで
たぶん最初の巡礼者なのでしょう。

かつて荘厳な堂宇と塔頭六坊を有する大伽藍であったそうですが、相次ぐ戦禍や、港堺とともに
早くから開花の波に変貌を余儀なくされ、境内堂宇はそのたびに狭められたようです。
昭和20(1945)年、堺大空襲で廃墟と化してしまいました。
幸い、観世音菩薩の尊像は疎開していて、近年、鉄筋の本堂に改築、安置される事になり
法燈は護持される事になりました。

神栄山 長谷寺の宗派・札所本尊・御詠歌

宗派
真言宗豊山派
札所本尊
十一面観世音菩薩
御詠歌
いたずらに 千代経るよりも 呉竹の 世に抜け出でん 一節もあれ
いたずらに ちよふるよりも くれたけの よにぬけいでん ひとふしもあれ

神栄山 長谷寺の想い出

巡拝(参詣・参拝・巡礼)したのは、平成23(2011)年11月30日。
デジカメのデータを探すのが、大変でした(笑)。
この長谷寺は、写真にある看板がないと、普通の民家と見紛うほどの寺院です。
巡拝した時はたまたま、母とともに巡拝したのですが、納経印を頂いた時に
『「お供物」がございますので、どうぞお納め下さい』と、おせんべい(だったと思う)を
頂きました。 長谷寺でお供物を頂いたのが、巡拝していて初めての経験でした。
その画像は、関連記事で(データを消したとか言わない 笑)。

法光山来迎寺の本堂 法光山来迎寺の薬師堂の石碑
法光山来迎寺の外にいらっしゃる地蔵菩薩 法光山来迎寺の納経印(ご朱印)
上段左の写真は神栄山長谷寺の入り口、上段右は神栄山長谷寺の本堂。
下段左は神栄山長谷寺の手水(ちょうず)。下段右は神栄山長谷寺の納経印(ご朱印)です。

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