普陀山 海岸寺
和泉西国三十三ヶ所霊場第七番札所普陀山海岸寺は大阪府堺市中区平井933−1にある
黄檗宗の仏教寺院。 札所本尊は十一面観世音菩薩。
開創は江戸初期。当時平井には黄檗宗満福寺末として海岸寺、真言宗観音寺、
真言律宗安楽寺の三寺があり、これらの諸寺には観音堂、鐘楼堂、護摩堂、
衆寮、客殿など備えているところもあったと言います。
明治初年、安楽寺が無住となり、海岸寺の住職が安楽寺に入り海岸寺を称し
貞享年間泉州三十三所第七番の観音寺と、元の海岸寺の両堂宇は廃寺となり
三寺の仏像すべてが新しい海岸寺で安置され今日を迎えました。
また、神仏分離により境内にあった鎮守社は和泉西国第6番の来迎寺と同様
多治速比売神社に合祀されました。
昭和36年の第二室戸台風の時、多くの仏像の安置された本堂が
倒壊し、そのほとんどの仏像は著しい被害を受けました。
無壇に近い海岸寺としては、再建は難しいので、墓地を造成して
平成10年にやっと本堂を再建しました。
現在は新本堂で修理した仏像をお祀りしてます。
平成18年には鐘楼が完成しました。
普陀山 海岸寺の宗派・札所本尊・御詠歌
- 宗派
- 黄檗宗
- 札所本尊
- 十一面観世音菩薩
- 御詠歌
- 幾度も 参りて汲まん 法の水 平井の寺と 聞くにつけても
- いくたびも まいりてくまん のりのみず ひらいのてらと きくにつけても
普陀山 海岸寺の想い出
和泉西国三十三ヶ所霊場・第七番札所普陀山海岸寺に巡拝したのは
平成24(2012)年7月28日の事。
海岸寺のご住職にお話を聞いたところ、黄檗宗は江戸時代に日本に伝来(当時は臨済宗黄檗派)
檀家制度が確立したあとの事でしたので、幕府の保護と、武家の一部が改宗する事により
寺院を維持していたのですが、幕府が崩壊し、また、もともと檀家の数が少なかった事に
加え、武家も本拠地(と言うか、実家と言うか)に戻って行った例も少なくなく、黄檗宗は
衰退していった、との事。 山口県萩市の東光寺も黄檗宗の寺院ですが、そういう
『観光地化された』寺院はともかく、一般の黄檗宗の寺院は、経営としてはしんどいところが
多いそうです。
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